浜松まつりとは

このコーナーの写真は、私が撮影した物です。無断転載を禁止します。

現在のカメラ: Canon EOS 7 / EOS D30
OLYMPUS μU 115VF / CAMEDIA C−990ZS



浜松まつりへ





 浜松まつりは毎年5月3・4・5日に浜松市で開かれる市民のお祭りです。
昼間は中田島砂丘での大凧揚げ合戦、夜は御殿屋台引き回しが行われます。

 その規模は静岡県最大の祭りであり、GW期間中の催しとしては、博多どんたく・広島フラワーフェスティバルなどと
肩を並べ、人出は全国で五本の指に入ります。

 その起源は、永禄年間(1558−1569)に、引馬城主・飯尾豊前守の長男義広公の誕生祝に、
入野村の佐橋甚五郎が大凧に「義広」の名を入れて城中高く揚げたのが始まりとされています。

 御殿屋台は、凧合戦の帰りに大八車に凧を屋根代わりにして引いて来たところ、
森三之助丞という役者が芸者衆と一緒になって囃し立てたのが始まりとされています。

 凧の形は正方形。大きさは2帖(1.5m四方)から10帖(3.64m四方)まであります。
尾の長さは凧の一辺の長さの4・5倍くらいあります。
風の状態によって、凧の大きさ・尾の長さ・糸目(凧と凧糸の焦点)を調整します。

 長男の生まれた家は(今は次男以下・女の子も)、初練りといって家の前で若衆が練りをします。
町の凧にその家の家紋、子供の名を入れた凧は、初凧といわれます。
そして凧を揚げてもらい、真ん中に子供を肩車した親が糸先を持ち、その周りを若衆が丸くなって練りをします。

 狭い会場でたくさんの凧が揚がるために凧糸同士が絡まります。凧合戦(糸切り)の始まりです。
他町の凧糸にわざと絡ませることもあります。お互いに糸を出したり引いたりして摩擦によって糸を切りあいます。
上空の凧の下あたりには、先回り班がいて凧糸が切れて凧が落ちた時に凧を拾いに行きます。

 平成6年には糸が切れた凧(有玉の凧)が海を越えて「千葉県安房郡白浜町」まで飛んでいったこともありました。
(詳しいことは、こちらへ)「有玉連誠有会」のページです。

 夕方からは御殿屋台の引き回しです。参加町のうち、屋台を持っている町内は市内中心部に集まって、
列を作って引き回すほか、自町内を引き回します。
屋台の中は、化粧をした女の子たちがお囃子を演奏しています。
そして屋台の前には、綱があって大勢の人たちが綱を持って屋台を引いています。

 昼夜問わず、町内の旗を持った人を先頭に太鼓・ラッパ隊、そのあとに擦り足で進む練りの集団が
「オイショ、オイショ」との掛け声で、凧揚げ会場、御殿屋台の回り、夜の町内などを練り歩きます。

 5日には、子供の日に因み町内の子供会による子供凧揚げが行われます。

 この他にも、凧揚げ会場の近くの浜松まつり会館(一年を通じて祭りを堪能できる市の施設)の風紋広場では、
みやげ物店が並びます。そして、民謡踊りが開かれています。
浜松駅前では、民謡踊り・縁日祭りなどが開かれます。アクトシティでは、ミス浜松まつりコンテスト、お囃子披露会、
縁日祭りなどが開かれています。
中心部での屋台引き回しの前には、幼稚園や、各学校、企業の吹奏楽団による吹奏楽パレードが行われます。